「失われた」のは・・・“考える力”
「失われた30年」とよく言われる。
バブル崩壊から経済が停滞し、日本は成長の軌道を外れた──そんな話だ。
だが、この“失われた”という言葉が、まず他人事すぎて気に入らない。
まるで、誰かのせいで勝手に日本が沈んだかのように語られている。
本当にそうか?
たしかに、政治や行政の責任は重い。
産業構造の変化に乗り遅れ、無策な財政運営、場当たり的な政策。
その結果としての低成長、物価高、賃金の停滞。
だが、それを許してきたのは「私たち」ではないのか?
選挙では、政策の中身よりも「感じの良さ」や「なんとなくの印象」で投票する。
テレビのバラエティで見たことがあるから、SNSで目立っていたから、
そんな理由で国の舵取りを任せてしまっている。
そして、政治を任せたあとも「どうせ変わらない」と言いながら文句だけは一人前。
政治家は票さえ取れれば、あとは税金で安泰。
タックスイーター(税金で生活している側)は肥え続け、
タックスペイヤー(納税する側)だけが苦しんでいる。
これが、「失われた30年」の本当の姿だ。
失われたのは国の経済成長ではない。私たち国民の“考える力”と“行動する意志”だ。
選挙に行かない。行っても調べない。
問題の本質に向き合わず、話題になった人に投票する。
それで「日本は終わってる」とか「政治が悪い」と言うのは、あまりに無責任ではないか?
苦しいのは事実だ。
物価は上がり、賃金は上がらず、将来が見えない。
でもそれは、誰かが勝手に仕組んだことではない。
“選び、放置し、諦めた”積み重ねの果てにある当然の帰結だ。
「30年たってようやくわかった」?
笑わせてはいけない。わかっていて見ないふりをしてきただけだ。
なら、どうするか?
考えよう。学ぼう。調べよう。
そして、選ぼう。
感じのいい誰かではなく、「何を言っているか」「何をやってきたか」で。
他人任せにしている限り、次の30年も同じだ。
失われたのは“時間”ではない。
“自分たちの力”だ。
それを取り戻すのは、あなたの一票からしか始まらない。