「働きたい」の本音はどこにあるのか――高齢者就業意欲という言葉の裏側

内閣府が発表した令和7年版「高齢社会白書」によると、
現在仕事をしている60歳以上のうち、83.7%が「70歳以上まで働きたい」と答えたとされている。
この数字だけを見ると、「高齢者は働くことに意欲的」と読み取るのが一般的かもしれない。
だが、それは本当に“意欲”と言えるのだろうか。

私たちはこの数字を、額面通りに受け取るべきではない。

多くの高齢者が「働きたい」と答えた背景には、純粋なやりがいや生きがいよりも、
生活の不安、特に経済的な事情があるのではないか。
年金だけでは生活が成り立たない。預貯金を切り崩して暮らしていくには長すぎる老後。
医療費や物価の上昇、介護の心配。
そうした“現実”を前に、「働きたい」ではなく「働かざるを得ない」
という本音が隠れているのではないだろうか。

政府や報道機関は、これを「高齢者の労働参加が増えている」「社会への貢献が意識されている」と
ポジティブに描きたがる。
だが、その言葉の裏にあるのは、生活保障の不十分さ、セーフティネットの限界、そして社会の無関心だ。

高齢者がこれだけ労働市場に留まっているということは、
裏を返せば若い世代の雇用環境にも影響を与えているということでもある。
年功序列や定年延長の結果、若年層の昇進や給与の停滞が続き、
社会全体が「老い」を引き延ばしたまま“詰まり”を起こしているのが現状だ。

つまり、問うべきはこうだ。
「高齢者の就業意欲が高まっている」ことは本当に良いことなのか?
それは、誰もが望んだ社会の姿なのか?

数字は語る。
しかし、その解釈は常に誰かの都合で変わる。
政策をつくる者、報道する者、
それを受け取る私たち――それぞれが「意欲」という言葉の便利さに乗っかっていないだろうか。

真に必要なのは、「高齢者が望むなら、安心して働き続けられる社会」であると同時に、
「望まなければ、働かなくても暮らしていける社会」だ。
選べる自由のない「意欲」など、本来は“意欲”とは呼ばない。

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