職場の熱中症、その責任は誰にあるのか?
今年も、夏が来た。
そしてまた、誰かが命を落とした。
厚生労働省によると、2024年(令和6年)に職場で熱中症によって死傷した人の数は1,257人。
前年よりも14%増加し、統計を取り始めた2005年以降で最悪の数字となった。
亡くなった人は31人。これで3年連続、30人を超える命が夏に奪われたことになる。
最多は製造業、次いで建設業、運送業。
とくに製造・建設の2業種だけで、全体の約4割を占める。
これは過去5年間、ほぼ同じ傾向だ。
つまり、どこで誰が倒れているのかは、すでに「分かっている」のに、減らせていないのだ。
■「努力義務」では人は守れない
熱中症は、予防できる災害だ。
水分補給、休憩、空調設備、作業の中断──。
必要なことは、もう何十年も前から言われている。
それなのに、なぜ死者は減らないのか?
答えは明白だ。やるべき対策が、現場で“徹底されていない”からだ。
そして、それを“徹底させるだけの制度”も、“本気でさせようとする政治”も、足りていない。
企業には「努力義務」がある。
だが、努力義務とは聞こえは良いが、守らなくても罰せられないという意味でもある。
結局のところ、コストをかけたくない企業の「自己判断」にすべてが委ねられているのが現状だ。
■失われるのは「命」と「尊厳」
猛暑日の工場。鉄板の上で工具を持つ手が震える。
建設現場、足場の上。立ちくらみを感じるが、下りてはいけない空気。
運転席、風はない。窓は開けられない。
命を削って働く。それでもなお、経済効率が優先される。
この国では、毎年数十人の働く人が、ただ「暑さに耐えきれなかった」だけで命を落とす。
その命の重さは、議論にもならず、ひと夏が過ぎれば忘れられる。
■「猛暑が常態化する社会の危機」を変えるために
必要なのは、本気で命を守るためのルールづくりだ。
エアコンを設置しない工場や現場に行政指導を。
高温作業の時間制限や強制休憩の法制化。
違反した企業への罰則強化。
労働者一人ひとりが声を上げられる環境。
安全を選んだことで不利益を被らない仕組み。
「命を守ること」が「コスト」ではなく「当然」となる文化。
熱中症は、「気温のせい」ではない。
私たちが、何を優先しているかの価値観の結果なのだ。
■「また誰かが倒れた」では、遅すぎる
目の前で、誰かが汗を流しながら働いている。
その汗が、命を削るものになっていないか。
冷房の効いた部屋で報告書を見るだけでは、何も変わらない。
気温が40度を超える時代。
「熱中症は自己管理の問題」という考えが、誰かの命を奪っている。
だから私たちは問わなければならない。
この暑さのなかで命を削る働き方を、いつまで許すのか?