待遇差の『理由』を聞けても、生活は変わらない
厚生労働省がまた一つ、「やっている感」のある報告書を出した。
正社員と非正規の待遇差について、会社は理由を説明しなさい。
その説明を、労働者は求められるのだと、雇い入れの時点で明示しなさい、という話である。
一見すると、弱い立場の労働者を守る前進のように聞こえる。
だが、ここで一度、冷静に考えたほうがいい。
これは本当に、現場の不公平を是正する話なのか。
それとも、問題を「説明」という言葉で包み直しただけなのか。
実情はこうだ。
非正規労働者の多くは、待遇差があることなど百も承知で働いている。
ボーナスが出ないことも、昇給がないことも、正社員と同じ仕事をしても給料が違うことも、
最初から分かっている。問題は「理由を知らないこと」ではない。
「理由があっても、どうにもならないこと」だ。
会社が説明する理由は、ほぼ決まっている。
「責任の範囲が違う」「転勤がない」「人材活用の仕組みが異なる」。
これらは、すでに何年も前から使い回されてきたテンプレートだ。
今回の報告書で変わるのは、それを言わなくてもよかった場面で、言うようになるという点だけである。
では、労働者が「その理由はおかしいのでは」と言えば、待遇は改善されるのか。
現実は厳しい。
説明を求めたところで、会社が考えを改める義務はない。
説明して終わりだ。極端な話、「説明はしたが、変えるつもりはない」で制度上はクリアになる。
ここに、この政策の限界がある。
問題の本質は、説明不足ではない。交渉力の非対称性だ。
生活がかかっている側と、いくらでも代わりがいる側。その力関係が変わらない限り、
「説明を求める権利」が増えても、現場の空気はほとんど変わらない。
むしろ、現場ではこんな副作用すら考えられる。
説明を求める労働者が「面倒な人」と見られ、更新を控えられる。
あるいは、形式的な説明文書が量産され、誰も読まない紙だけが増える。
これは日本の行政施策で、何度も見てきた光景だ。
それでも厚労省が、この手の施策を打ち出し続ける理由は明確だ。
「格差問題に手を打っています」と言えるからである。
数値化しやすく、制度として整理しやすく、しかも企業側の反発も比較的少ない。
だが、労働者の生活実感とは、どうしてもズレる。
本当に必要なのは、理由の説明ではない。
同じ仕事をしているのなら、なぜ賃金が違うのかではなく、
いつ、どうすれば同じ水準に近づけるのかを示すことだ。
そこに道筋がない限り、「説明可能です」という一文は、単なる免罪符にしかならない。
今回の報告書は、悪意があるわけではない。だが、現実に踏み込む覚悟もない。
だからこそ、読む側は騙されてはいけない。これは格差是正の切り札ではない。
せいぜい、「説明してください」と言えるようになった、という話にすぎないのだ。
それを「前進」と呼ぶか、「現実逃避」と呼ぶか。
答えは、現場で働く人たちの毎月の給与明細が、何も変わらないことが教えてくれる。

