社会から見た労働経済白書

厚労省の労働経済白書が丁寧な言葉で説明しようとしている事実は、実にシンプルだ。

「日本は、もう働く人が足りない。しかも、これからもっと足りなくなる」

これに尽きる。

日本の労働力人口は、奇跡的に“横ばい”で踏みとどまってきた。
理由は、高齢者と女性が大量に働き始めたからだ。
要するに、「隠し玉」を全部使い切って、なんとか数字を保ってきただけである。

だが、その余力はもう無い。
人口の減り方がそれを許さない。
2040年には就業者が1,000万人近く減る試算も出ている。
これは地方都市どころか、大都市圏の労働市場が丸ごと消えるレベルのインパクトだ。

白書は言う。
「だから労働生産性を上げないと、この国の経済は維持できない」

もっともな話だ。
しかし日本の企業は長年、建物や機械には投資してきた一方、
ソフトウェアや教育といった“無形資産”への投資は圧倒的に少なかった。
「AIを使え」「DXだ」と声だけ大きいが、企業の内情はまだ紙とハンコと手作業が根強く残っている。

白書は、医療、介護、物流、建設…生活インフラ業種の生産性の低さにも触れる。
ここを効率化しなければ社会全体が回らない。
だが、賃金が低いままでは人は集まらず、改革どころか維持すら難しい。

本当の問題は、
“人がいない国になりつつあるのに、人を大切にしてこなかった”
という構造的な矛盾だ。

労働生産性の議論は、単に「もっと効率的に働け」という話ではない。
「働く人がいなくなるから、社会全体の構造を作り直さなければならない」
というシビアな現実の宣告である。

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