「骨太方針」という空虚な呪文──賃上げを語る資格はあるのか

毎年、政府が発表する「骨太の方針」。
名前のインパクトに反して、その中身が薄っぺらいことに、
そろそろ多くの人が気づいているのではないだろうか。

令和8年度(2026年度)の社会保障費に関して、
政府は6月13日、「賃上げ対応を明記する」と胸を張った。
物価高や経営悪化を踏まえて医療・福祉現場の賃上げに“つなげる”ため、予算を上乗せするとしている。

…いや、ちょっと待ってほしい。
賃上げって、そもそも政府の仕事じゃない。事業者の経営判断のはずだ。
なぜ国が得意げに「対応を明記しました」と言っているのか?
なぜそこに、これほどまでの無能さがにじみ出てしまうのか?

■「骨太」は、もう看板倒れの記号に過ぎない
まず、ネーミングからしてイタい。
「骨太」という言葉に、中身の伴わない威厳を持たせようとする努力が見えすぎて、逆に軽薄だ。

実際のところ、毎年繰り返されるこの“骨太方針”の中身は、
既存の制度にちょっと手を加えるだけのものが大半。
今回の「賃上げ対応」も、「高齢化に伴う自然増の範囲内で抑制してきた予算を、
ちょっとだけ緩めますよ」というレベルだ。

これは新しい挑戦でもなければ、戦略的な改革でもない。
ただの帳尻合わせ。どこに“骨太”要素があるのか、探すほうが難しい。

■なぜ政府が「賃上げ」を語るのか
根本的な疑問がある。なぜ政府が、民間事業者の賃上げに言及するのか?

もちろん、医療や介護の分野では公的価格が設定されており、
診療報酬などの形で国が間接的に賃金に影響を与えているのは事実だ。
しかし、それは単に制度の構造であって、政府が「賃上げしました」と成果を主張できる筋合いではない。

本来、政府の役割は賃上げを“書き込む”ことではなく、
賃上げが可能になるような経済環境・労働市場の土台を整えることにある。
それを棚に上げて、方針文書に一文加えることで「賃上げに対応しました」と言い張るのは、
まさに責任転嫁であり、政治の無能さをさらけ出しているにすぎない。

■本気なら、「未来の設計図」を示せ
この国の問題は深刻だ。
人口は減り続け、現場は疲弊し、若者は将来に希望を持てずにいる。
それなのに政府は、「骨太」という言葉で自分たちの仕事を飾り立てることに躍起になっている。

本気で改革する気があるのなら、票集めのポーズではなく、未来に向けた明確な設計図を出すべきだ。
社会保障制度をどう持続可能にするのか。
どの産業に、どう人材を誘導するのか。
そして、どんな社会を築きたいのか。

それを語らずして、「賃上げに対応します」などと言われても、響くはずがない。

■おわりに:「骨太」ではなく、「骨抜き」な政治
この国の政治は、見かけの言葉で飾られている。
だがその言葉の裏には、中身のない施策、責任のない態度、未来への視点の欠如が横たわっている。

「骨太の方針」とは名ばかりで、実態は“骨抜き”。
賃上げを語る資格もないまま、ただひたすらその場しのぎの言葉を重ねていく。

国民を軽視するのは、もうやめてほしい。

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